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2007-09-30
私の日記を終了いたします。
2005年12月より400余りの日記を書き続けました。今まで「私の日記」にアクセスして頂き有り難うございました。本日を持ちまして、「私の日記」を終了し、「過去の日記」としてホームページ上に保存いたします。
明日10月1日より、新たに「新・私の日記」としてスタートいたします。これは「まちブログおおむら」にも投稿することになり、多くの皆様にお読みいただくことが出来ると思います。スタートの10月1日は私の60歳の誕生日でもあります。還暦を向かえ、十干十二支をひと回りし、新たな出発の時でもあり、フレッシュな気持ちでスタートいたします。今後も「新・私の日記」にアクセスいただきますようにお願いいたします。有り難うございました。
新西海橋にて思う
現在の西海橋の先に、新しい西海橋が出来ている。佐世保市と長崎市を繋ぐ新しい道路の一部でもある。バイパス的な道路のようであるが、短距離で結ぶ道路である。町村合併で西海市が生まれ、新しい道路によって、市の活力も増すことだろう。
建築の途中では、何故橋を二つも造るのか疑問があったが、出来た橋とその道路を走って見ると納得する。
予算との費用対効果は分らないが確かに便利であることには間違いないようだ。
2007-09-29
西海橋で・・・芋あんのたいやき?
西海橋も50年ほど前は、つり橋としては東洋一を誇っていた。しかし今はたくさんの長いつり橋が出来ている。「佐世保西海橋自殺橋・・・」などと子供の頃に言っていたのを覚えている。海からの高さはかなりの高さがあり、また大村湾と外海との狭い海峡は、潮の干満により渦が巻いている。
アーチ形の西海橋はすばらしいバランスがあり、景観ともとてもマッチしている。西海国立公園の名に相応しく、九十九島を含めた景観はとてもきれいである。
この西海橋の西海側には海の幸を販売しているところがある。レストランや土産品店などもあるが、その一角に「たいやき屋」がある。ある人から、芋あんのたいやきがおいしいと聞いて買ってみた。「なるほど、芋あんもおいしい。」 一個で腹は満腹になるけれど・・・。
2007-09-28
宮崎県庁続編・・・玄関前
県庁の玄関に知事の等身大の写真看板を掲げてあるのも珍しい。県庁に観光客が訪問するのも珍しい。2階の知事室前まで訪問客が足を運ぶのも珍しい。ちなみに私も足を運んでしまった。玄関先では、ガードマンがチラシを配っている。県庁のPRチラシである。知事室等も写真入りである。
宮崎では鳥インフルエンザが新知事就任と同時に起こった。しかし、すばやい対応は鳥インフルエンザ問題を払拭してしまい、今では地鶏は大いに売れている。同時に、全国に宮崎地鶏を宣伝してしまった。流石に活力のある宮崎県である。
2007-09-27
宮崎県庁で・・・。
会議出張の後、宮崎県庁を訪ねた。古いがしっかりとした建物である。県庁正門の両サイドには、テントが張り巡らされ物産展があっていた。近くには物産館がある。東国原知事になって県庁への訪問客も多く、物産もよく売れるという。9月の連休には一日5,000人を越える県庁への観光客があったそうである。どこの県も県庁が観光ルートになることはないが、宮崎県は違っている。当県もそうあって欲しいものである。
2007-09-26
大島にて思う。
西彼杵の西海市大島には造船所がある。つり橋が架かり本土とつながっている。写真の白いつり橋がそうであるが、とてもきれいなつり橋であり、橋を渡る際の左右の海がまたきれいだ。夏の海は太陽の光を反射してきらきらと光り、また光りを吸収して海の色を鮮やかにしているようでもある。車が多く通る雑踏の中を離れ、自然豊かな場所へ足を運ぶのも良い。美しい海と風景、そして美しい空気が何とも良い。潮風に吹かれ、潮の匂いが漂い、木々の緑が爽やかになびく。そんな場所に身をおくことも必要かも・・・?
2007-09-25
矢切の渡し
帝釈天を過ぎ、6〜7分のところに江戸川が流れている。そこが、「連れて逃げてよ・・・」と細川たかしが歌う「矢切の渡し」である。水量の多い江戸川は東京都民の水がめになっていると聞く。江戸川も先の台風で水害があり、水深が通常の2メートルも高くなり、護岸にあるゴルフ場は泥水が上がり、現在はクローズの状態であった。
この江戸川は日光街道につながり、当時はこの矢切の渡しを利用して日光街道に出たそうである。また関所が厳しかったため泳いで渡り、捕らえられた者は打ち首になったそうである。そんな話を船頭さんより聞きながら、ゆっくりと矢切の渡しを船で往復した。
2007-09-24
帝釈天続編・・・庭園
帝釈天には立派な日本庭園がある。池もあり、鯉が泳いでいる。よく管理された庭園は、回廊の中庭のようになっているが、広い庭園である。回廊の脇に念仏所のような場所があるが、そこには天然の木が生えており、天井を突き破った状態にある。その木は生きているの死んでいるのか分らないが、珍しいものである。
この帝釈天は法華宗のお寺で、檀家寺とまでは分ったが、開院はいつ頃なのか聞かなかった。とてもきれいなお寺である。
2007-09-23
帝釈天続編・・・木彫り
帝釈天の本堂は昭和初期に建て替えられたそうである。このお堂の周囲の壁にはケヤキの彫刻がある。20センチメートルの厚味のケヤキの一枚板に透かし彫りの彫刻が施されている。釈迦、阿弥陀仏、僧侶などの彫刻がとてもすばらしい。厚味のある一枚板の透かし彫りは見事なものである。作者はそれぞれに違っているようだが、バランスよく飾られている。梁には龍の頭部が彫刻されている。本堂の彫刻は一見の価値があるようだ。
2007-09-22
柴又続編・・・帝釈天
「帝釈天で産湯を使い・・・」寅さん映画の口上である。柴又駅から左折するとすぐに帝釈天参道がある。木彫りの店、川魚の店、そして団子屋などが立ち並ぶ。「とらや」という団子屋があり、そこで撮影が行われたらしい。4メートル幅くらいの参道は帝釈天まで続き、帝釈天の門が正面にあり、奥に本堂が広がっている。帝釈天は法華宗のお寺であり、檀家寺のようである。東京の下町、田舎にポツリとある寺は、寅さん映画が有名にさせたのだろうか?
2007-09-21
葛飾区柴又駅
上野駅から京成線に乗り、高砂駅で乗り換えて一駅、そこが柴又駅である。所謂、葛飾柴又、フーテンの寅さんが育った町である。駅前には写真のように寅さんの銅像が建っている。この柴又は、東京とは思えないくらい田舎である。しかし柴又駅には、観光客らしい姿が目に付く。「フーテンの寅」のシリーズ映画は、この柴又を一躍有名にした。大きな町おこしとなったようである。
2007-09-20
ベイ・ブリッジから・・・都会を思う。
横浜駅にSOGO百貨店がある。10階の渡り廊下の窓越しにベイ・ブリッジが見える。O1O1百貨店も駅ビルには入り、横浜駅の大きさが伺える。10階の食堂街は植栽を多く取り入れとてもきれいである。
東京もそうだが街並みがきれいだ。街中には木々が多く取り入れられ、こんなところまでと思うくらいに植栽がある。上野公園にはイチョウの木がさかえ、みどり一面といった感じである。その中に、東京文化会館、西洋美術館、国立科学博物館、上野動物園、正岡子規記念野球場等様々な施設がある。そして公園の入り口には、上野駅方向を眺めながら西郷さんの銅像が静かに立っている。
2007-09-19
静岡駅で・・・。
出張命を受けて静岡市へ出向いた。写真は静岡駅に入る新幹線である。久しぶりに新幹線での旅を経験した。新幹線も初期の頃とは違い随分と良くなっている。
新幹線が東京ー新大阪間を始めて走ったのは何時ごろだったのか?確か東京オリンピックの前だったと記憶している。そうすると40数年前に、最初走り出したことになる。 新幹線は陸上輸送の最たるもので、日本の経済発展には大きく貢献したものと思う。
久しぶりの新幹線に乗りながら、学生時代の4年間、長崎ー東京間を帰省の際に、新幹線や寝台列車を利用した思い出が浮かんできた。最近は飛行機を使うことが多いが、列車の旅も良いものである。
2007-09-16
今日も元気に!ツイてるぞ!
今日から、東京ー静岡へ出張する。台風11号が心配されたが、それて安心した。まだ残暑も厳しく暑い毎日が続く。最近は年齢と共に疲れが溜まってきたような気がする。忙しいこともあるのかもしれないが、夏バテ気味である。
「一日一日元気に、目標設定をしながら頑張らなくては・・・。」そんな思いで頑張っている。五日市剛氏が言う。「ツイてる!ツイてる!」そんなに心から思って繰り返していると、きっとツキも回ってきて、目標達成できるだろう。
2007-09-15
頭隠して尻隠さず・・・かな?
最近、街路樹の剪定や道路の植栽の剪定がなされている。街路樹のイチョウの木も剪定されて坊主のようになっている。確かにきれいではあるが、イチョウの木は葉が茂り、黄色く色づき、秋風に流されて道路を川のように流れるのが風情があると思う。清掃が大変ということも考えられるが、茂った葉は光合成を営み、酸素を供給する。環境を良くし、緑豊かな茂った葉は涼しさを感じさせる。確かに道路をきれいにすることは良いことだろう。しかしそれならば、道路の雑草も一緒にきれいにするべきではないか? 片手落ちな感じがする。
2007-09-14
大村湾に浮かぶ島
大村湾にはたくさんの島が散在している。長崎空港のある箕島、そしてその南東側にあるのが臼島。臼島は大村市の所有であり、無人島でもある。夏の夏越し祭りでは、花火大会がこの島と陸地を繋いで行われる。写真は臼島に連なる弁天島(?)である。小さな島は、ふたこぶらくだのように見える。私たちが中学生の頃は、臼島まで泳いで行ったものだ。陸からは多分600〜700メートル位だろう。きれいな島は、たくさんの思い出がある。
2007-09-13
ペアルックの子供を見て・・・。
JR大村駅前の交差点を若い夫婦が、2人の小さな子供をつれて歩いていた。子供は2〜3歳くらい、ペアのTシャツを着ていた。何となく成人した息子たちが、小さかった頃のことを思い出してしまった。長男が生まれた頃は、ベビーウエアーをよく買ってきたものである。その服は二男に、そして三男に、四男までは行ってないかも?そんな感じである。懐かしく思い、また再びその時代にタイムスリップしたい気がした。
子供たちは最早自分の考えを持ち、親の言うことなどあまり聞いてないだろう。子供の成長を喜ばなければならないのが、寂しさの方が大きいような気もする。そんな思いで大村駅前の子連れの家族を見ていた。
2007-09-12
安倍総理は何処へ行く・・・。
安倍総理が辞任した。何とも不可解な決断である。国会での所信表明演説までして、「職を賭して・・・」と、これからの政策実現に自分の首を賭けてまで貫くことを決意していたのに、何とも不思議な話である。国の元首たるものそんな姿勢で良いのか疑問が湧く。責任とは一体何なのか? 選挙で負けた責任は、これからの政策実現を見て欲しいと言っていた。新内閣を組閣し、政策実現を実行しようという体制は少なくとも出来ていた。にも拘らず辞任表明である。国民への説明義務はどうするの? そんなに自分勝手に辞めて良いの?何となく釈然としない辞任劇である。
2007-09-11
医療センターのヘリポート
昨日国立長崎医療センターへ行った。駐車場の入り口右手にヘリポートがあり、離島の救急医療の為にヘリコプターが待機していた。今までは海上自衛隊のヘリが、救助活動と共に医療支援も行ってきた。離党の人たちにとっては大切な支援である。どんな立場でも、命の大切さを尊重して欲しいと思う。しかし、政府の医療政策は、予算だけからしか考えず、本来の医療のあり方を間違えているように思う。
産科の問題、救急医療の問題、保険の問題、色々と考えなければならない事が多い。
2007-09-10
免疫力が欠けるのか、それとも免疫力がついたのか?
少し暑さが和らいだ。とたんに風邪をひいてしまった。また耳のできものが腫れ、これからも熱が出てしまった。忙しさのあまり休養もとらずにいたためか、免疫力もなくなってしまって、体調を壊してしまった。残念!休養しなさいということだろう。
しかし組織の中では免疫力が増してきた。何を言われても動じない。全てを吸収してしまうことが出来るような気がする。これからまだ、いろんなことが起こるだろう。心身ともに健康に頑張っていこう。今年は大厄だ、いろんなことが起こるだろう。楽しみながら処理しようと思う。
2007-09-09
幸福がこだまする五つの心
今日、理髪店に行った。そこに「幸福がこだまする五つの心」と書いた日本手ぬぐいが掲示してあった。大村家の菩提寺である万歳山本教寺の住職に貰ったそうである。当たり前のことが書いてある言葉だが、読んでみるとなるほどと思った。普段忘れていることが、思い出された感じである。
その言葉は、「ハイ」という素直な心
すみませんという反省の心
お陰さまでという謙虚な心
させて頂きますという奉仕の心
有り難うございますという感謝の心
日常に、このような心で生活するならば、対立などは起こらない。「自分が!、自分が!」というように自分の言うことが全て正しいと思って行動するような協調性のない人たちがいる。少し謙虚さや思いやりの言葉や行動があると良いのだが・・・。残念!
2007-09-08
藩校、御教館と黒門
我が町大村市は歴史豊かな町でもあります。その一つが御教館です。現在は大村小学校がありますが、ここは大村藩の藩校として江戸前期から明治に至るまでの203年間、武士の子弟の教育にあたっていました。
名称を御教館と言い、「君臣義あり、父子親あり、夫婦別あり、長幼序あり、朋友信あり」の五倫道を教えたところだそうです。現在は御成門(黒門という)が残っています。この黒門は歴代の藩主が来校の際に使用されたもののようです。
2007-09-07
乾坤一擲・・・。
厳しい暑さも少し和み、秋風が吹いてきそうなこの頃である。昨日は勉強会、本日は会議と忙しい毎日が続く。夜は会の司会を依頼されてまた急がし、早く終わって合気道の稽古の予定だったが行けなかった。残念!暑い道場で汗をたくさん出し、体の中の悪いものを排出し、ストレスの解消をしたかったのだが、残念だった。
いろんな組織の役職を務めるのも大変である。いろんな考えの人たちが、手を変え品を変えてやってくる。余裕のない攻撃は効き目がない。「乾坤一擲の精神でやって来い。」 中途半端な愚にもつかないことが多い。合気道の精神、懐を深く、気を合わせる。私にはその精神がある。
2007-09-06
今日も頑張らなくては・・・。
先般、靖国の英霊、海軍大尉の遺書を日記に書いたが、毎月写真の掲示板に掲載されているようである。
死を覚悟しての出陣をした彼等。今は自殺や、殺人ゲームのように人を殺したりする時代に成り下がってしまった。人の心を感じる心を養いたいものである。
今日は朝から5年に一度の研修会に出席した。10時から16時まで、みっちりの研修である。会議と違って、一方的に受ける研修はきついものです。しかし大切な研修、靖国の英霊に負けないように頑張らねば。意識は、「良い日本を創るぞ!」である。
2007-09-05
長崎空港に住む狸は・・・?
遠くに見えるのは空港へ渡る橋、左端には長崎空港が見える。海上空港である長崎空港は、1キロメートルの橋で大村市本土とつながっている。
この島には狸がたくさんいたのか、今でも夜になると腹を空かせた狸がターミナルビルに通ずる道路に出没する。随分捕獲されて殺されたとも聞くが、まだたくさんの狸がいるようである。
人間は利己的であり、もともと狸が住んでいたところを開発し、自然を破壊し、狸を追い出したのである。狸が邪魔だからといって、捕獲し殺してしまうのはどんなものだろうか? 道路を汚すから、等などが捕獲の原因のようであるが、わざわざ餌を与えに来ている人もいるようであるのに・・・。
人間のエゴで、生き物を殺すことは問題であると思う。
2007-09-04
自然のように人生も・・・。
大村市片町、大村湾に面した堤防には、クルーザーやモーターボートが係船してある。空には夏の雲が張り出している。海と船と夏の雲、夏本番も9月に入り、やや暑さも和らいで来たように思う。季節は刻一刻と変わっていく。今年も三分の二を経過した。何となく忙しさの中に時が経過しているように思う。自分がやりたいと思っていることも出来ないままに、時は過ぎていくのだろうか?自然は規則正しくあり、また変化が面白い。我々の人生も規則的で、且つ変化に満ちた楽しいものであって欲しいものである。
2007-09-03
ざくろの実が生っていた。
ざくろの実が生っていた。最近はざくろの実が生っている所などは見ることがない。たまたま、仕事で回っていたときに、ふと目に飛び込んできた。民家の庭に作っていたものだ。私が小さかった頃、うちの庭にもざくろの木があり、大きな実が生っていたのを覚えている。家の庭には、外に夏みかん、びわ、柿、イチジク、すもも、さくらんぼ、グミ、などたくさんあったが、今は余り見当たらない。そんなことでざくろを懐かしく見てしまった。
今の時代、おいしいものがたくさんあり、ざくろなど、子供たちは面倒くさくて食べもしないだろう。昔を食で思い出すのもいいものかな?・・・?
2007-09-02
土佐選手と政治家に思う。
世界陸上大阪大会で日本選手不調の中、土佐礼子選手が銅メダルを獲得した。しかもマラソンという過酷なレースの中で、粘り強く走った。世界陸上でメダルを取るためには、能力のほかに過酷な練習と努力があって、且つ根性が備わって成し得るものなのだと思う。
「銅メダル、おめでとう!」
選手たちが頑張る中、日本の政治家たちは頑張りが足りない。内閣も新しく組閣をしたのは良いが、また政治とカネの問題が浮上した。何で私欲のあるものが政治家になるのか!政治というのは、公共の為に尽くすことではないのか?疑問がたくさんある。
世界陸上の選手たちのように、努力に積み重ねられた練習の結果が一瞬のうちに評価されてしまう。しかし、それでも頑張っている。政治家の皆さん、もっと彼らのように努力をして下さい。死に物狂いで・・・です。
2007-09-01
間もなく60歳・・・
間もなく60歳になる。還暦を向かえ新たな人生のスタートを切る。新しく生まれ変わり、60年の経験を元に第2の人生が始まる。写真は1歳の頃のもの、当時は戦後のベビーブームの時、この世代を団塊の世代という。60年前と現在の状況は様変わりの変化がある。小さかった頃の思い出が懐かしく思い出される。心豊かな時代だったような気もする。しかし時代が戻るわけでもないし、今の状況が変わるわけでもない。今の時代に、生まれ変わりの団塊の世代が、何をなすべきか?また何が出来るのか?を考えて、知恵と行動力で時代を変えることが出来たらと思う。