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2007-05-31
大村公園には菖蒲の花が・・・
今日、大村公園の近くを車で通ると、公園の中には人だかりがあった。よく見ると菖蒲の花がちらほら咲いているではないか。紫の菖蒲の花が、今年も人の心を和ましてくれる。周りには桜の木がたくさんあり、4月の初めには桜の花が咲き誇っていた。今は葉をたわわにさせ、緑豊かにして酸素供給に頑張っている。
今度は写真をアップして、菖蒲の花をお見せしよう・
2007-05-30
花が心を癒し・・・
町並みの一角にフラワーポットがある。そしてきれいな花が咲いている。車を走らせていると目の前にきれいな花が咲いている。何の花か分からないが、車を止めて、カメラのシャッターを押した。殺風景な町並みにあるフラワーポットや木々の緑は心を和ましてくれる。
昨日、私が所属する協会の総会で、嫌なことがあった。一日中気分が悪く心は沈んでいた。しかしきれいな花は心を癒し、心の扉を開いてくれる。「いろんな経験をいさせてもらい、いろんな人がいることを教えてくれてありがとう。」、そんな思いが芽生えた。いろんな経験は自分の人生の年輪となり、また、いろんな見方が出来るようになるだろう。
2007-05-29
協会の総会と40周年式典が開催
今日は私が所属する社団法人の総会と40周年の式典が開催される。総会は何やら雲行きがおかしいことが起こるような気配がある。自分の責任を人の責任や、組織の責任や、社会の責任にしたがるような人たちがいる。また、人の足を引っ張ろうとする人たちもいる。もっと協力しようと前向きな考え方が出来ないのだろうか?
大きな風呂敷にはたくさんのものが入る。懐の深い力士は強い。懐を深くする、つまり人の意見を良く聞いて妥協点を見出していく。前向きな話なら、妥協点はすぐに見つかるだろうと思う。対立意識では話し合いにはならない。思っていることを成就しようとするなら、相手の立場を考えながら前向きな対応が大切だと思う。
果たしていかに今日の結果は?
2007-05-28
松岡農水大臣の死に思う
松岡農水大臣が自殺した。なんとバカなことをするんだろう。今後、いろんな追及が成されることは目に見えていたが、死ぬことはないだろう。国民に申し訳ないことをしたと思うならば、それなりのけじめをつければ良い。刑事罰があるとするなら潔く受ければ良い。
簡単に人を殺したり、自殺サイトで簡単に自殺する時代だから、生きて努力することが大切だと思う。特に大臣の椅子に座っているなら自分で命を絶ってはいけない筈。教育問題が論議され、いじめなどの対策がとられ、将来に向って生きていくことが重要視されている時に、大臣が自らの命を絶ってはならない。
非は非、是は是、きちんと対応をしない自民党政権も反省すべきである。私はこのように思いますが、日記を読んでいただいた皆さんはいかがですか?
2007-05-27
まだ黄砂が飛んできている
写真は長崎空港に架けられた橋である。晴れているのに靄がかかったように見える。カメラが悪いのでもない。黄砂が飛んできているのだ。
中国からは黄砂が、水銀入りの土鍋やとんでもない薬などの中国製品とともにやって来ているようで頭にくる。北朝鮮は日本海にミサイルを撃ち込んで来た。
日本はなめられたものだと思う。拉致問題も進まず、靖国問題や憲法改正問題でも干渉してくる。それに対する日本政府の弱腰と利権には肝要な印象がある。
黄砂は自然現象だろうが、今の中国、韓国、北朝鮮の対応を考えると、黄砂で車が汚れるたびに頭にきてしまう。勿論、日本政府の対応にも同じだ。もっと意志をはっきりせよ! 怒れ!
2007-05-26
息子のCGデザインがあった。
パソコンの中に長男がCGで作ったデザインが残っていた。今、長男は東京で水彩画を教える一方で、宝石の鑑定をしている。なかなか私には出来ないことを仕事として選んでいる。宝石も精巧な偽物があり、鑑定するのも難しいらしい。よくそんな仕事が出来るものだと感心している。
東京はいろんな仕事があるが、働いても追いつかないくらい給料は安い。子供も苦労しながら好きな道を進んでいる。親としては心配だが、応援団として陰ながら応援してあげるしかない。しかし、我が子ながら良く頑張っていると思う。
頑張れわが息子!
2007-05-25
戦没者慰霊祭が・・・
朝は雨が降っていた。明け方花火がなっていたので何かと思っていたが、春の戦没者慰霊祭であった。大村市の三城城址で開催されたようである。
昨年は沖縄の平和公園を訪れ、今年は靖国神社の遊就館に行き、戦争犠牲者の心と悲しさを体感してきた。私の叔父も戦死者の一人である。
今、憲法改正が取り沙汰され、特に第9条が焦点になっている。今の日本の平和は、戦争の犠牲となった人々のお陰である。将来に夢を持ち、大きな希望をもった若者が、希望を成就することなく、敵艦に体当たりして命をおとしている。
今の若者は自由奔放に生き、青春を謳歌している。
戦中に青春を送った若者と今の若者を比べる時、今の若者は自由な社会で、自分の目標に向って頑張る義務があると思う。
2007-05-24
二酸化炭素による地球温暖化・・・
二酸化炭素の排出による地球温暖化については世界的な問題として各国での取り組みがある。しかし、排出量は増える一方にある。
世界中で最も二酸化炭素の排出量を抑えようと努力しているのがEU諸国らしい。火力発電所では石炭を使い、電気の蓄電量は少ないらしいが、熱資源として石炭を使っている。そして二酸化炭素を地下700メートルに圧縮液として埋め込んでいくと言う。
いずれにしても、二酸化炭素やフロンガスなど、美しい地球の環境を変化させたり、あるいは破壊してしまうようなことは避けなければならない。ヨハネが黙示録で言っているように、第一のラッパから第七のラッパが鳴るまでにしておくと、人類はこの世には誰もいなくなるのかもしれない。
美しい地球を守りたい・・・みんなの力で・・・。
2007-05-23
賢者たちのメッセージを読んで・・・。
人間の霊的本性を透視するエドガー・ケーシーに影響を受けた人たちの対話形式の本である。その中で、五日市剛氏の「ツキを呼ぶ魔法の言葉」が印象に残った。
彼は、「ありがとう」「感謝します」の言葉が人生を変えるという。嫌なことがあったら、「ありがとう」、車に追突されても彼は「ありがとう」という。私が思うには、人生は全て必然という彼の考えから、結局、「事故で死なずに済んだ。ありがとう。」ということの感謝だろうと思う。
また彼は、「ツイてる」という言葉を口にする。日常の中で常に「ツイてる」という。前向きな言葉は、人生を変えていくという。なるほど、私も常に前向きに魔法の言葉を使って行こうと思う。
皆さん!私の日記を読んでもらって「感謝します!」
2007-05-22
公園に捨てられた猫
公園には野良猫が多い。何故かというと、ペットとして飼っていた猫を、いらなくなったということで公園に捨てに来る。また、子猫が生まれたのでそれも不必要になり捨ててしまう。命あるものが簡単に見殺しにされている。
教育の中で大切なものは、美しいものを美しいと感じる心を育てること。命あるものを大切にする心を育てること。思いやりの心を養うこと。そんな講義を受けたことがあるが、今の世の中当てはまらないことが多い。犯罪も多く発生している。
さて、公園に捨てられた猫、果たしてどうすれば良いのだろう。行政は、公園の猫には餌をやらないようにと注意書きがある。確かに猫を増やさないようにするには仕方がないことかも知れない。しかし、見殺しにして良いのだろうかとも思う。一番悪いのは捨てる人だろうが、動物愛護法に基づいて罰するのが良いのか、議論は分かれるところだろう。
本来、ペットを可愛がらない人は飼うべきでない。その上で、行政と愛護団体や市民グループが協力しながら、良い方法を探すことが大切な気がする。
2007-05-21
西の空に月と金星が輝いている。
よる西の空に月が輝いている。そして金星がその下に小さく輝いている。時間とともに位置が変わるが、金星を月が追いかけるように移動していく。小さく輝く星たちは太陽の光を受けて輝いている。夜空の星や月を観ると何となく心が休まるような気がする。
今日もまた同じように宇宙の営みは変わることがないだろう。私たちの生活も規則正しく、基本的には変わりはしない。しかし、それをいかに楽しくしていくかは自分の問題であり、自分の努力に他ならない。豊かな宇宙の仕組みの元に、豊かな自然を頂く地球の生命体として、今日も頑張らなくっちゃ・・・です。お互いに・・・。
2007-05-20
長崎空港にある遣欧使節の看板を見て・・・
長崎空港ビルを出ると、目の前に大村市の歓迎の看板が立っている。看板の絵は、遣欧使節としてヴァチカンに遣わされた4少年の絵である。
大村市は城下町であり、16世紀後半、歴史教科書にも載っているキリシタン大名である大村純忠公の領地であった。純忠公の時に遣欧使節は派遣されている。原マルチノ,中浦ジュリアン、千々石ミゲル、伊東マンショ、彼ら4人がそうである。
織田信長から豊臣秀吉に時代が変わり、キリスト教禁止令によってキリスト教信者の弾圧へと時代は変わっていった。大村市でも、首塚、胴塚があるがこれも弾圧の名残である。大村藩も改宗したわけだが、遣欧使節の4人は本来の使節の意味を成すことがなかった。
今、私たちは言論の自由の中で生きている。憲法でも基本的人権で、身分の保証が成されている。本当の意味で自由がある。だから、心を捨て去ったような犯罪行為のない日本であって欲しい。
2007-05-19
長崎空港に思う
海上空港である長崎空港、1キロメートルの橋が市街地と空港を繋いでいる。大村湾にある箕島、この島を造成して空港はつくられた。
海上空港は夜間の離発着が出来る。しかし、この空港は国のFAZの指定を受けながらも国際空港としての機能が欠けているようだ。上海、韓国への路線はあるが、海上空港としての利点を生かしていない。福岡空港がしているように、外国との貿易の輸送拠点としての機能を高めるべきではなかろうか?
宝の持ち腐れではもったいない、いろんなことを考え、経済浮揚にもこのような交通アクセスは大切にすべきではなかろうか? そんなに思うのは私だけでしょうか?
2007-05-18
昨日は黄砂・・・、今日は雨・・・。
昨日は黄砂が飛んで来たらしい。そういえば車が汚れているかな? 今日は雨、明け方まで降っていた雨は止み、明るくなったので晴れるのかな?と期待したが、午後4時を過ぎると辺りは暗くなり、ぽつり、ぽつりと水玉が落ち始めた。追って雷が、ゴロゴロとうなっている。ついでに痩せるために昼飯をぬいたのか、腹はグーグーと叫んでいた。
雨は黄砂を洗い流し、木々の葉を緑鮮やかにする。明日、太陽が昇ると鮮やかな緑がそこにあるだろう。
2007-05-17
意見は真正面から・・・
人は意外と、面と向って意見を言わずに、陰でこそこそするようなことが多い。また、一人では自分の意見を主張することが出来ず、人を扇動する人もいる。結局、主張することが怖いからだろう。
自分の意見に自信がなく、また四面楚歌になることが怖く、味方を少しでも持ちたいという心理の現われだろうと思う。
しかし、真剣に意見を述べると誰しもきちんと聞いてくれるもの。小ざかしいことを考えるから、仲間を持たなければ主張が出来ない。自分の意見を論破されたって良いじゃないかと思うのだが・・・。必ずしも自分の意見が全て正しいわけではない。真剣な議論には必ず妥協がある筈だ。だから、対立的なことは起こらない。
人の意見を良く聞く、肩の力を抜いて理解する。するとそこにはきちんと結果が残るものだと思う。
2007-05-16
人心の荒廃に思う
最近は親が子を殺害、子が親を殺害、恋人を殺害、しかも身体を切断する。何とも残虐な事件が多い。世の中平和な筈なのに、何でこんな事件が起こるのだろう。
政治不信なのだろうか? 楽しいことややり甲斐のあることが見つからないのだろうか? わがままからなのだろうか? それとも仏教でいう末法の世なのだろうか? キリスト教でいう火の洗礼期なのだろうか?
いずれにしてもこの世の中、何とかしなくてはならない。 私は思うのだが、やはり教育問題を今一度考え直さなければならない。今の国の教育審議会を見ていると、なんとも馬鹿げたことばかり協議しているように思う。教育の本質は心の問題が第一である。制度を変えたり親を教育するなど、そんな問題でないことをもっと理解すべきである。全てがおかしい・・・、そんな思いがする。
2007-05-15
愛犬もんた再登場・・・憲法第9条を守る。
我が家の愛犬「もんた」は、我が家に来て早4年近くになる。もんたは、家では相変わらず甘え、わがままし放題である。しかし、家族外の侵入者があるものなら様相一変、戦闘姿勢になる。もんたは憲法9条を遵守しているようだ。犬は人間のように9条を広義解釈はしない。侵入者が来れば、単に家族を守ろうとするために吠える。場合によっては噛みついても行く。噛みつくことは自衛を超えていることになるのだろうが・・・。 憲法9条はともかく、うちの「もんた」臆病なんでしょうね。でも犬の美容室に行くと、こんな利口な犬はいないといわれる。もんたはTPOが良く分かっている利口な犬なのかも・・・? 写真の通りハンサムな犬ですよ。
2007-05-14
クリスチャン・ラッセンの絵
アルカディア大村から長崎空港を望んだ写真である。
一昨日、アルカディア大村のイベント会場で絵画の展示即売会があっていた。クリスチャン・ラッセンの版画がたくさん展示してあった。彼の作は、イルカの題材が多い。水中に泳ぐイルカ、海中に入り込む光が微妙に輝き、泳ぐイルカの起こす泡立ちに光り輝いている。
版画でここまで出来るのかと思うばかりの作品である。勿論価格も相応の金額が付けてあった。この絵は、私には感動を与えてくれた。同時にこんな絵を描いてみたいなとも思わせるものであった。すばらしい!その一言が似合っていた。
2007-05-13
今日は母の日・・・感謝の日
5月13日、今日は母の日である。母親に感謝して赤いカーネーションを贈ろう。
母の日の起源は、1905年5月9日、フィラデルフィアに住んでいたアンナ・ジャービスという少女が亡き母に母親が好きだった白いカーネーションを贈ったことが始まりらしい。そこで健在な母親には赤いカーネーションを、天に召された母親には白いカーネーションを贈るようになったらしい。
カーネーションはナデシコ科の多年草で、英語では「Carnation」と書く。古くからカーネーションは戴冠式を意味するという。語源は「Corana(冠)」に関連する説が有力とされている。また花が王冠に似ているという説と神の花冠に用いられたとする説もあるという。
いろんな説があるのだろうが、愛情と感謝の気持ちを込めて、「ありがとう」の言葉とともにカーネーションを贈ろう。
2007-05-12
出島ワーフにて・・・
出島ワーフ、飲食街が長崎港に面してある。近くには夢彩都というショッピングプラザがある。出島ワーフは、長崎港の先に稲佐山を望み、飲食街は木質のデッキが施され、長崎港の直近で食事をすることが出来る。西洋文化の窓口であった長崎は、異国情緒豊かであり、港は西洋貿易には欠かすことの出来ないものでもあった。美しい海、造船の町長崎、南山手のグラバー邸は当時の豊かさを残し、出島はまた歴史と文化の拠点として観光客が多いようである。
2007-05-11
長崎県美術館にて・・・
長崎県美術館での研修会に参加した。研修会の後、展示物を見学した。家具、陶器、木工、絵画などが展示されていた。初めて中に入ったが、立派な美術館である。建築前や建築途中には、ある美術館の副館長をしている友達が、委員に入っていたのかよく来ていた。
長崎港、稲佐山を眺望する美術館は、館内に展示してある美術品にも劣らない自然の美しさがあるように思う。
2007-05-10
大村公園は緑豊かに・・・
桜の季節も終わり、大村公園は緑豊かになった。桜の季節には鮮やかな桜の花が咲いていたが、今は葉桜、しかも緑豊かに茂っている。写真の池は、淡水と海水が入り混じっている。海の魚の鰡と淡水の鯉が混在している。雨が少ないと塩分濃度が高くなり、淡水の鯉はアップアップするようになる。程よく淡水を池に流さないとそんなことが起こるのだ。いずれにしても自然はうまく調和しなくてはならない。
2007-05-09
夏も間近・・・
ヨットが並んでいる。いよいよ夏も間近、海の季節がやって来る。少年の頃は大村湾の玖島海岸で海水浴をしたものだ。しかし今は公有水面の埋め立てで海水浴場はなくなっている。学校ではプールがあり、水泳はほとんどがプール指導である。しかし夏は海の醍醐味がある。「海は広いな大きいな・・・」である。青年期になると、写真のヨットで海に出る。また海の醍醐味、自然の風邪を利用して右に左にうまく帆を動かす。自然に任せ、或いは自然に逆らい船を進める。楽しい夏がやって来る。
2007-05-08
大きな牧の木
近所に大きな牧の木がある。直径では1メートルを超えているだろう。樹齢はどのくらいあるのかは分からないが、多分200年以上は経っているだろう。というのも、この地域は点在する武家屋敷の一角であり、古い家は15年ほど前に解体された家齢400年の家があったし、私の家のつつじも150年以上経っている。
私たちが小さい頃、よくこの牧の木の近くで遊んだものだが、その頃も大きく感じたものだった。
いろんなものがわが町にもあり、いろんな歴史もある。少し、昔に戻って考えてみたいこともある。
2007-05-07
海賊船だ・・・
写真は佐世保市鹿子前、海賊船が見える。九十九島巡りの船である。子供たちが小さい時には良く来てこの船に乗ったものである。その時の写真もたくさん残っている。九十九島はとてもきれいで、島を見ながら子供たちと船の中を行ったり来たりしたことを覚えている。もう、子供たちと一緒に乗ることもないだろう。しかし、三男は海上自衛官、もしかしたら自衛隊の船に一緒に乗ることもあるかも知れない。そんなことを考えて、海賊船を見ていた。
2007-05-06
連休最終日だが・・・
大型連休も今日が最終日となった。連休中、ジェットコースターの事故、車の事故、殺傷事件と不幸な記事が多かった。ユーターンラッシュも新幹線が120%の乗車率という。連休は帰省を楽しみに、また旅行を楽しみにしている人が多い。人が動くといろんなことが起こってしまう。楽しいことが悲しみに変わることもある。帰省して、家族と顔を会わせ団欒のひと時を迎える人たちも多い。私のようにゆっくりと家で連休を休養に廻しているのが一番なのかも知れない。
明日からは忙しい仕事が待っている。連休で休んだ鋭気をフルに発揮して頑張ろうと思う。
2007-05-05
鯉のぼりが見当たらない・・・
今日は端午の節句だ。しかし市内を車で走ってみたが、鯉のぼりがあまり見当たらない。ましてやのぼりなどは立っていない。少子化の中で端午の節句を迎える家庭が少ないのか、それともそんな習慣が廃れていったのだろうか? 大空に泳ぐ鯉のぼりは、とても元気で健やかな子供の成長を祝うには最適だと思う。
「甍の波と雲の波・・・・・高く泳ぐは鯉のぼり・・・」と子供の頃に歌った思い出がある。そして息子たちが小さい頃は、武者飾りを並べ、鯉のぼりを毎年揚げた思い出がある。アルバムを見ると子供たちは羽織を着て、鉢巻を締めた姿の写真が残っている。息子たちは成長し、端午の節句はないが、孫の時にまた出来るだろう。楽しみがまた一つ、これから先にあるだろう。
2007-05-04
連休後半は雨・・・?
連休で旅行を楽しむ人が多い中、国内は雨だ。せっかく楽しみにしていた人達だろうに、「残念!」としか言いようがない。連休は、雑踏の中、疲れて旅行するよりも、寝て過ごしたほうが良いのかもしれない。
昨日のニュースで北京にある国営遊園地のことが取り沙汰されていた。ディズニーと酷似の遊園地、ディズニーは遠いから行けないのでとのキャッチフレーズだ。年間150万人の入場者があるという。どらえもんやキティちゃんまでいる。中国という国の文化水準とモラルのなさが浮き彫りにされていた。「せっかくの連休だから偽ディズニーランドでも行ってみるか・・・ 。」、「でも遠いからな・・・本物が良いか。」
2007-05-03
憲法記念日
今日は憲法記念日だ。憲法改正が議論されている最中にある。特に憲法九条が議論されている。所謂「戦争の放棄」(戦争の放棄と戦力の否認)である。解釈においても広義解釈、狭義解釈があり、なかなか一本化した解釈がない。
確かに平和国家として、戦争を放棄することは正しい選択だろうと思う。あくまでも世界が平和であれば良いが、中東を初め戦火の国は多い。また北朝鮮の拉致問題も解決してはいないし、スパイ活動も活発に行われている。
世界の人類は、肌の色も違い、考え方も違い、教育や生活習慣も違っている。特に宗教の違いは大きな問題を起こしてしまう。戦争は放棄しても良いが自衛権についてはもっと明確な判断を示すべきであると思う。
子供の内2人は自衛隊で訓練を受けている。やはり有事の際の初動の的確な判断をするために厳しい訓練を受けているようだ。精神的にぶれない強靭な肉体と精神力を養わなければならない。そのための訓練は甘ったれたものでは無いようである。
実際に自衛隊は名称こそ違え軍隊であると思う。訓練も有事の際の訓練であろう。自衛隊法も改正し、自衛隊の位置づけを明確にすることも必要ではなかろうか。憲法九条の内容によっては自衛隊は要らないことにもなる。
2007-05-02
地球儀を見て思う
ディズニーシーの会場に入場した所にあるのが、写真をアップした地球儀だ。何を意味しているのかは分からないが、ユニバーサルなディズニーシーである。
地球儀を見ていると、宇宙飛行士が見た「美しい地球」がそこにあるように思う。陸と海、そして大空がある。海はエルニーニョ現象やラニーナ現象で暖かくなったり冷たくなったりする。海の自助作用があり、美しい地球を自ら守ろうとしているように思う。
それに反して、人々は美しい地球を汚している。知らず知らずの内に汚してしまっているのだ。車の排出ガス、エアコンの排気、家庭ごみ、等々、自分だけは良いだろうという思いが、全体に広がっていく。自分だけでも美しい地球を守ろうという気持ちが持てれば良いのにな。
思いながらも、中々出来ない私です。
2007-05-01
フランスではひょうが降ったらしい・・・
フランスではひょうが降り農作物は被害を受け、パリでは水害だと聞く。6月の気候が続き、上空と地上の温度差によりひょうが降るのだそうだ。いずれにせよ、異常気象による温度の変化は、世界中に思わぬ被害を与えている。人間が成せる業であり、自分の首を自分で絞めているようなものなのかも知れない。
自分の周りでも異常気象による災害が起こるかも知れない。人心の荒廃も同じく、長崎市長の銃撃事件、コンビニでの発砲、そして立てこもり、アメリカでの銃乱射事件、等々。考えなければならない問題がたくさんある。世界中の全ての人が幸せであって欲しいものである。