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2006-06-30
(社)全国宅地建物取引業協会総会開催
去る6月27日、ホテルニューオータニで私が所属する宅建業の総会が開催された。私も出席をしたが、全国からの代議員が終結した。全国11万社の協会組織は大したものであるが、まだまだ不動産業の社会的認知は低い。信頼産業として協会は、シンボルマークのハトマークを掲げて努力している。一人一人が努力して、信頼産業としての地位を勝ち取らなければならない。
人の財産を左右する産業であるだけに、知識の習得とお客さんへの対応など、信頼へつながる行動をしなければならない。小さい努力は、いつか大きな実を結ぶだろう。私も役員の一人として努力していきたいと思う。
2006-06-25
気持ちのいい挨拶
今朝、二人連れのお客さんがあった。女性と五歳の男の子である。私が事務所に戻るのを待っていてくれた。顔を合わせると、「おはようございます。」とにこやかに微笑んだ顔に大きな声が響いた。気持ちのいい、すがすがしさがある。聞くと、私の子供が通っていた幼稚園に通っているという。私の子供が小さかった頃を思い出させてくれた。親の躾と、幼稚園の指導がいいのだろう。
挨拶は言葉だけではなくて心でするものだと思う。今日は、屈託のない可愛い幼児の「おはようございます」の挨拶を聞いた。私も初心に帰って、心からの挨拶が出来るようにしようと思う。幼子に教えられ・・・。
2006-06-24
雨は力、木々は伸びる
梅雨になると、毎年のことであるが木々は勢いよく枝を伸ばす。野の草花も、見る見るうちに背を伸ばす。木にもいろんな種類があるが、住宅の生垣に植えてある名前は分からないが、小さな花をつける木がある。一雨ごとに枝が伸びる。生育の強い木だと言うが、何とも剪定を一年に何度もしないといけないようだ。草が伸びるように枝が伸びる。成長する木は縁起がいいのかもしれないが、生垣に植えて、何度も剪定するのは大変なことかもしれない。
いずれにしても、水は木や草花を成長させるには大切なもの。また、共に太陽の光もそうである。雨は、木々の生長の力、そしてその木々は、私たち人類に酸素を供給してくれる源だ。四季の恵みは規則的な自然の摂理の中にあり、豊かな自然を形成してくれる。それを人間の欲で、自然を破壊し、地球を汚しているのも事実である。出来れば、自然の力と恵みに感謝して、豊かな気持ちで生きたいものである。
2006-06-22
人のために出来ること
何となくいろんな役が回ってくる。能力もないのについ受けてしまう。今までは何とか役をこなしてきたと思う。段々に役は責任が大きいものに変わってゆく。
人は言う、「あいつは役をすることが好きなんだ。」と。とんでもない、しなくていいのなら、しないほうがどんなにか楽かと思う。人がいいのか、それとも断りきれないのか、困ったものである。しかし、人に求められることは出来る範囲頑張ったほうがいいと思う。求められるときが花かもしれない。花は咲かせるもの、咲いた花がきれいかどうかはその過程にあるのだと思う。
人のために、いろんな役をすることは悪いことではない。出来ることは進んですることが大切(?)だと思う。
2006-06-21
梅雨に風邪をひく
入梅と言っても、どちらかと言えば空梅雨。そのせいで空気が乾燥するのか、風邪をひいてしまった。仕事、会議、種々の役、諸々のことがストレスになるのか、体力がないのか、はたまた年なのか、風邪をひいたことは事実である。まだまだ人生これから、身体を鍛え、物事は前向きにとらえ、人生の風に任せて自分なりに生きたいと思う。勿論、目標に向かって・・・。
2006-06-18
まちづくりシンポジウム
18日大村市で街づくりシンポジウムが開かれた。町の活性化は、目的を明確にした中に哲学が必要だとのことである。中途半端では出来ることではない。哲学に基づく、強い信念と、具体的な計画が必要である。
大村市も駅前再開発が計画され進められている。しかし、可能になるかどうかは分からないという。補助金の問題があるからだ。大村駅前商店街は、ここ数年落ち込み、大型店舗に集客を奪われている。いろんな努力をしているようであるが、なかなか集客は難しいようである。何が欠けているのか? 目的についての明確な哲学があるのだろうか? 目標実現のための熱い思いがあるのだろうか? 努力が報われないのは、何かが欠けているのだろう。事業者と行政と市民とが一体になって、大村の中心的な商店街を取り戻したいものである。
2006-06-17
やっと梅雨らしく
今日は朝から雨が降ってきた。やっと梅雨らしい天気である。今の時期は、雨が降ると紫陽花の花が鮮やかさを増し、緑の葉は青々と大きく羽ばたいているようだ。
私が住む大村公園の菖蒲園では、また菖蒲の花が美しく咲いていることだろう。忙しさのあまり、見に行くことすら出来ない。菖蒲も雨の中、きっと鮮やかな色合いを醸し出していることだろう。
雨に、喜んでいる自然界のものはたくさんあるだろう。
こんなとき、「五月雨じゃ、濡れてまいろう。」くらいの風情を持ちたいものである。忙しい、忙しいではダメ、四季の移り変わりの風情を楽しもう。
2006-06-09
梅雨に思う
季節は規則正しくやってくる。四季のある日本は風情がある。今日、私が住む長崎県は入梅したという。毎年ちゃんとやってくる。雨は鬱陶しいと思うときがあるが、梅雨の雨が田植えには欠かせない。人は自分の都合で、「鬱陶しい雨だ」とか、「恵みの雨だ」とかいう。勝手なものである。違う考えの人が、相手の立場でものを考えることが出来れば素晴らしい。いやな雨も恵みの雨になるだろう。
2006-06-07
山口県毛利邸庭園をみて

先般、山口県防府市の毛利邸庭園に行ってみた。かつての大名屋敷は大したものである。大正年間に移築されたとの説明であったが、写真の門構えでも分かるようにすばらしい。門をくぐると、道の左にはよく剪定されたつつじが花をつけ、左にはカエデの木が緑の葉を垂れてすばらしい風情だ。緩やかな坂を上りあがると、そこには壮大な木造建築の毛利記念博物館あった。庭園は防府市内が見え、よく管理された美しい庭であった。自然の美しさと、人の手が加わった芸術的な美しさを十分に感じた毛利邸であった。
2006-06-06
関門海峡を渡る
一口に関門海峡を渡るといっても、江戸時代、参勤交代で九州から江戸へ上るのは大変だったろうと思う。勿論、船を利用したのだろうが、今は車でアット言う間で渡ってしまう。
文明が進み、いろんなものが発達し、いろんなことが発展する。苦が楽になり、心は荒廃する。人間にとって文明が進み、者が豊かであることがいいのだろうか?なんとなく違うような気がする。環境問題など文明が進まなければなかったものである。森林伐採、排気ガス問題、オゾン層破壊、そんなことは何もない。自然の中で、心も豊かである。しかし文明は発達し、物は豊かになった。そんな時代だから、その豊かさを、心の豊かさと平行に持って行きたいものである。関門大橋を感謝して渡れるように・・・。